長崎原爆の日-「死んだ女の子」を探して

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オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことを
「エノラゲイ」機長の息子が不快だと言ったことについて、
まだまだ怒りが収まらない今朝の気分なのだけれども・・・・
(注1)

6日に書いた「死んだ女の子」について
いろいろなバージョンがあることで、
混同されている方があまりにも多いようなので、まとめておきたい。

オリジナルはナームズ・ヒクメットというトルコ文学を代表する世界的詩人の詩
原題小さな女の子
1955年。
この名作「詩」は各国語に翻訳され、数々の曲がつけられた。

ナームズ・ヒクメットについて
トルコ語バージョン

KIZ ÇOCUĞU– JOAN BAEZ
(フォークの女王と呼ばれたジョーン・バエズがなんと原語で歌っている。)

この詩を元にした最初のレコーディングは、ポール・ロブソン
The Little Dead Girl-(As sung by Paul Robeson)1955年
(偉大な歌手ポール・ロブソンのことは後日書きます。)

This little girl is at your door,At every door, at every door.
And I am she you cannot see,I am at your door, at every door.
I am at your door, at every door.
And for this child will never be That love and laughter you have known.

At Hiroshima do you see My flesh was seared to bone,
My flesh was seared to bone. My hair was blue aflame,
Hot were my poor eyes, hot my hands. Now just a trace of ash remains
Where I had played on smiling sands. Stranger, what can you do for me,
This little ash, this little girl? This human child like paper burned

Dry ash the cooling wind shall swirl, Dry ash the cooling wind shall swirl
This little maid unseated by strife.
Oh stranger please do this for me. Your name for mankind’s peace and life,
And peace and life for all like me, And peace and life for all like me.

The Byrds – I Come and Stand at Every Door
(フォークの父ピート・シーガーの訳詞
-いくつか音源があるがこのバーズのバージョンがおそらくもっとも有名なバージョン)
I come and stand at every door But no one hears my silent tread
I knock and yet remain unseen For I am dead, for I am dead
I’m only seven although I died In Hiroshima long ago
I’m seven now as I was then
When children die they do not grow.

My hair was scorched by swirling flame
My eyes grew dim, my eyes grew blind
Death came and turned my bones to dust
And that was scattered by the wind.

I need no fruit, I need no rice I
need no sweet, nor even bread
I ask for nothing for myself
For I am dead, for I am dead.

All that I ask is that for peace
You fight today, you fight today
So that the children of this world
May live and grow and laugh and play.

日本では、6日に書いた下記の日本語詞:飯塚広、作曲:木下航二のバージョンが、
50年代から70年代にかけてよく歌われた。
(元ちとせ+坂本龍一バージョン日本語詞:中本信幸、作曲:外山雄三の宣伝文句で
「歌い継がれてきた」と書いてあるが、
正確には、もっとも歌い継がれてきたのは、この飯塚&木下バージョンだ。

死んだ女の子
作詞:ナーズム・ヒクメット 日本語詞:飯塚広作曲:木下航二57年
1.
とびらをたたくのはあたし あなたの胸(むね)にひびくでしょう
小さな声が聞こえるでしょう あたしの姿は見えないの
2.
十年前の夏の朝 あたしはヒロシマで死んだ
そのまま六つの女の子 いつまでたっても六つなの
3.
あたしの髪(かみ)に火がついて 目と手がやけてしまったの
あたしは冷たい灰になり 風で遠くへとびちった
4.
あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの
紙切れのようにもえた子は おいしいお菓子も食べられない
5.
とびらをたたくのはあたし みんなが笑って暮せるよう
おいしいお菓子を食べられるよう 署名をどうぞして下さい

 

さて、このバージョンが昔よく歌われ、現在あまり歌われなくなったのは、なぜなのだろう。
作詞飯塚広、作曲木下航二ともにもう故人。飯塚広は飯塚書店の創業者。
50~60年代には共産党関係の書籍をたくさん出版していた。
木下航二は、「原爆を許すまじ」の作曲者。
日本共産党の作った民青中央合唱団作曲班に在籍した。
民青中央合唱団は、「うたごえ運動」
という社会運動の中心組織だった。
そして共産党系日教組の教師を通して、全国に広まった。
ここへんに、今歌われなくなった理由がありそうだ。

あまりにも共産党系の運動と密着しすぎていたバージョンなのである。


しかしながら、このバージョンが、60~70年代に幼少時代を過ごした世代に
大きい印象を残したのはまごうことなき事実で、

山岸凉子
の名作短編「夏の寓話」1976年には、

このバージョンの歌詞がほぼそのまま出てくる。

 

公開直前の映画「キャタピラー」の主題曲になっているのは、
元ちとせ+坂本龍一バージョン。作曲:外山雄三。

(若松孝二監督-かつて新左翼のカリスマの一人だった人物で「世界同時革命」(注2)
主張した太田竜などと近い関係にあった)
いわさきちひろの名作わたしがちいさかったときに1967年に使われているのは、この訳。

「死んだ女の子」
作詩 中本信幸・服部伸六 訳67年

けてちょうだい たたくのはあたし あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
こわがらないで みえないあたしを だれにもみえない 死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで あのヒロシマで 十年まえに
あの時も七ツ いまでも七ツ 死んだ子は決して 大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を あたしの両手を あたしの瞳を
あたしの体は ひとつかみの灰 冷たい風に さらわれていった灰

あなたにお願いだけど あたしは パンもお米も なにもいらないの
甘いあめ玉も しゃぶれないの 紙切れみたいに 燃えたあたしは

戸をたたくのは あたし あたし  平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子供を やかないように 甘いあめ玉が しゃぶれるように

炎が子供を やかないように 甘いあめ玉が しゃぶれるように

高石ともやのレコーディグが1967年。
(注2012年8月6日-元の音源が削除されたので、別音源に差し替えました。
このライブバージョンよりもオリジナルレコーディングバージョンのほうがもっと素晴らしいですね。) 


今聞いてみると、素朴でいい。
僕が
このカバーでもある「元ちとせ+坂本龍一バージョン」がイマイチ気に入らないのは、
各楽器の自己主張があまりにも強すぎて、「歌」を生かしきれていない
坂本龍一のアレンジのせいだということがよくわかった。

(坂本龍一は「歌メロ」も「歌声」もトータルで見た作品における材料のひとつと考えていて、「歌」を生かすなどということは、さらさら念頭にないのかもしれないが・・・)
坂本龍一は、学生時代全共闘運動をやっていたバリバリの元新左翼で(当然のことながら反民青)、今回の若松孝二との結びつきは、なるほどねと思ってしまう。

このほかに、「死んだ少女」作曲:猪本隆、訳詩:江間章子(「夏の思い出」~夏が来れば思い出すの作詞者)というバージョンなどもあるが、ネットで聞くことはむずかしいようだ。

 

日本の中だけで、原爆の悲惨さをどれだけ訴えても、
世界に向けて発信しなければ、その思いが世界に届くことは、非常に困難なことだ。

ヒクメットの作ったこの詩は、世界中の人々の心を動かし社会をも動かした。
これが世界に向けて発した言葉の力だ。
僕たちは、
ヒクメットに感謝しなくてはならないと思う。


(注1)「九条」「九条」って日本国内の安全なところだけで、日本国内だけに向けてコメントを出している、益川とかいう国際的にも発言力があると思われるノーベル賞爺さんなどは、そういうコメントをするなら「アメリカ」「中国」などの核保有好戦国に向けて発言しなければ、世界的には何の影響力もないし、全く意味も意義もない自己満足にすぎないということを認識してほしいですね。

(注2)今振り返ると、「世界同時にみな貧乏人となって、貧乏を共有して農業をしよう。」という宗教めいたカルト思想にしか見えない。

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工藤ゴウ(KUDO GO)宮崎県西都市、西南戦争で西郷隆盛が泊まった旅籠屋跡の古い日本家屋で生まれ、以降延岡育ち。 上京後、現在は東京と宮崎市に拠点。 音楽データサービス、WEBデザイン等デジタルコンテンツ制作の仕事を、かれこれ20年以上続けています。