吉屋潤の想い出②~金正日の愛唱した名曲「離別(이별イビョル)」

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昨日のお昼からずっと、「金正日死去」のニュースが流れていますね。

世界激動の2011年の年の瀬、このニュースが世界中で流れていることで、さまざまな思いが胸を去来します。
僕は、金正日の関わった軍事的行動、特に「大韓航空機爆破事件」などのテロや「日本人拉致」には憤りを覚えますが、
今日書くのはそういう政治的な話ではありません。

金正日の一番好きだった曲は、僕の親父みたいな存在でもあった故吉屋潤(キロギュン / 길옥윤)先生・作詞作曲の
「イビョル(離別)」だったそうです。
「イビョル」金正日が、パーティなどで自ら歌う時の十八番の曲だったと言われています。

韓国・日本・台湾・中国それぞれでカバーされ、英語バージョンもあり、
広く愛唱されている、東アジア圏の大衆歌謡を代表する曲でもあります。

 

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吉屋
さんは現在の北朝鮮寧辺郡(平壌から北へ80kmほどの場所-現在、核施設のあるところとして有名)生まれで、韓国の国民的作曲家でした。

さらには日本でもジャズプレーヤー(SAXプレーヤー)として大きな成功を収め、1950年代~60年代の日本ジャズ誌人気投票上位の常連で、
ソングライターとしては、この「イビョル」「1990年」などの代表曲が、NHK紅白歌合戦で歌われました。
ロサンゼルスオリンピック時には、アジア圏を代表するJAZZプレーヤーとして呼ばれて演奏をし、
ソウルオリンピックでは音楽監督も努めました。
そういう吉屋さんの存在は、軍事的には敵国の国民的作曲家でありながら、
きっと金正日にとっても、民族的に誇らしかったのでしょうね。

ただし、こういう他国での評判は、吉屋さん自身の韓国内での評価にとっては必ずしもプラスとは言えないようで、
その生前の人気や立場に比べると、今の評価は不当だと言わざるを得ないです。
(吉屋さんはすごく親日的な方でもあったので、1990年代からの韓国マスコミの反日原理主義ぶりを見ていると、
再評価されるわけもなく、「あなたたち、どっか間違ってるよ」と韓国マスコミに言いたいですね。
-その話はいつか改めて書くことにしましょう。)

離別(이별 イビョル)
♪時には思い出すでしょう  冷たい人だけど
あんなに愛した想い出を 忘れはしないでしょう
青い月を見上げ 一人過ごす夜は
誓った言葉を繰り返し 逢いたくなるでしょう

山越え遠くに別れても 海の彼方遥か離れても
時には思い出すでしょう 冷たい人だけど
あんなに愛した想い出を 忘れはしないでしょう♪
♪あなたの噂を風が 運んで来る夜は
寄せては返す淋しさに 心を揺らすでしょう
流れゆく月日が すべてを変えるでしょう
たとえ二人の炎が 燃えつづけていても

山越え遠くに別れても 海の彼方遥か離れても
時には思い出すでしょう 冷たい人だけど
あんなに愛した想い出を 忘れはしないでしょう♪

1972年作。当時、韓国音楽史上最大の売り上げ枚数を記録し、
韓国のスーパースター、パティ・キム(吉屋さんの元妻)の歌で、1973年度韓国レコード大賞を受賞。
パティ・キム패티김-イビョル이별

僕は日本人で、吉屋さんはコリアンなのですが、
国境を超えた親子のような付き合いをさせていただきました。

吉屋さんは、南北の分断により故郷に帰れないまま人生を終えました。
僕が酒席で吉屋さんに「先生、北朝鮮に行きたいですか?」と聞くと、
「行きたいねえ。すごく行きたいねえ。心の底から行きたいねえ。」と、しみじみおっしゃっていました。
その望郷の念は、吉屋さんのお話を聞いていた当時30代前半だった僕にはよく理解できていなかったような気がします。
今になり、年齢を重ねるたびに、そういう「ふる里への思い」を実感するようになってきました。
僕は行こうと思ったら、故郷に行くことができます。
でも故郷と離れた東京で暮らすことで、時々無性に郷愁の念に駆られます。
帰郷できない年の瀬などは特に、郷愁の念が増します。
故郷を思いながら、その故郷に足を踏み入れることのできなかった吉屋さんの思いは、
どれくらい深いものだったのでしょうか。

「音楽は、国境を超える」というのが、吉屋さんの信念で、
それは望郷の念からの「音楽で国境を超えたい」という強い意志だったのかもしれません。
イビョルは、吉屋さんが単身でニューヨークでジャズのをやるために滞在していた当時、
パティ・キムとの別れを書いた曲なのですが、

「산을 넘고 멀리멀리 헤어졌건만   바다 건너 두 마음은 떨어졌지만
山を越えて遠く遠く   別れたけれど  海の彼方に2つの心が  落ちて行ったけれど」

という歌詞には、山の向こう、海の向こうにある、北のふる里への望郷の念も込められているように感じます。

中国語の「離情 (イビョル)」マレーシア育ちの歌手潘秀瓊(パン・シウチョン) -香港でリリースされたバージョン

吉屋さんは、晩年「国境を超える」ということをテーマにした、南北統一を願った曲をたくさん作っていました。
僕の手元には、そういう楽譜がたくさん残っています。
この曲もそうですね。朝鮮半島の統一を願う催し「ワンコリアフェスティバル」の主題曲として作った「ハナの想い」
ハナというのは「ひとつ」の意味で、「半島がひとつになる」ということを表しています。
こちらに制作当時89年のことについて書かれた記事があります。

リンク 『 ハナの想い 』 誕 生!

2000年には、パティ・キムが、クリントン元大統領の弟らと訪朝して、金正日の前で「イビョル」を歌いました。
この年まで存命ならば吉屋さんも招かれたのではないでしょうか。
もう少し長く生きていらっしゃれば、日韓朝の友好に大きな足跡を遺したことはまちがいなく、
今の韓国での「日韓朝の友好」という言葉を発する知識人や有名人の少なさと、
平気で他国の国旗を焼いてしまうような過剰なナショナリズムとを考えたら、
吉屋さんのような、天才的コスモポリタンである知識人の、
韓国サイドから発する「友好」の言葉は、非常に重かったのではなかろうかと思えてなりません。

2001年、今からちょうど10年前NHKが日韓ワールドカップの特集のひとつとして制作し年末に放送したドキュメンタリーは、
「三つの祖国 吉屋潤 ~音楽で日・韓・朝の心をひとつにした男~ 」という題名でした。

そしてこのイビョルという曲は、まさに日・韓・朝の国境を超えたのです。


日本語バージョン「離別 (イビョル)」桂銀淑ケイ・ウンスク
—-付記————————–

少し時系列的なことを書くと、金日成が94年7月没、吉屋先生は94年には闘病をされており95年3月に亡くなりました。
金正日が「イビョル」を好きだという話は全然ご存じなかったと思います。

当時は、金日成がカーター元大統領と会談したり、金泳三韓国大統領と金日成との会談が実現すると言われていて、今よりもっと南北統一が実現に近かった時代でした。

金日成独裁時代の北朝鮮は今よりはまだマシで、
金正日独裁体制になってからの北朝鮮には、ほとんどいいところが無かったように思います。

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工藤ゴウ(KUDO GO)宮崎県西都市、西南戦争で西郷隆盛が泊まった旅籠屋跡の古い日本家屋で生まれ、以降延岡育ち。 上京後、現在は東京と宮崎市に拠点。 音楽データサービス、WEBデザイン等デジタルコンテンツ制作の仕事を、かれこれ20年以上続けています。

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