アンディ・ウィリアムス追悼「ある愛の詩」の時代

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70~71年頃に洋楽を本格的に聴き始めた僕にとって、アンディ・ウィリアムスは特別な歌手の一人だった。
70年の年末ぐらいから映画「ある愛の詩」とその原作小説「ラブ・ストーリー」がアメリカで大ヒットとなり、
(原作者のエリック・シーガルが映画の脚本を担当し、ノベライズと映画とがコラボレートしてヒット)
日本では、映画テーマ音楽作曲者フランシス・レイ(この曲でアカデミー作曲賞を受賞)による主題曲インストゥルメンタルバージョンが、71年頭にリリースされ、
3月にアンディ・ウィリアムスのカヴァーが発売された。

このアンディ・ウィリアムス盤の発売は映画の日本公開と同じ時期で、
「愛とは決して後悔しないこと」という名キャッチとともに日本でも映画との相乗効果で大ヒットした。
4月にはアンディ・ウィリアムスの日本語カヴァーも発売され、そしてこの3枚のシングルが3枚ともに、
日本のヒットチャートでベストテンに数週間にわたってランク・インした。
もっともヒットしたのがアンディ・ウィリアムスの英語ヴァージョンだった。

映画音楽が強かった文化放送のポップスチャート番組『ユア・ヒット・パレード』では、
71年の始まりから紹介され、ずっと「ある愛の詩」のテーマがランク・インしており、年間一位。
ビルボードやキャッシュボックスのチャートに近かったポップスチャート番組「オールジャパンポップ20」でも年間一位。

日本における洋楽年間最大のヒット曲となった。
映画「ある愛の詩」も71年興行成績第1位の大ヒットを記録した。

この原作本は高校英語授業の副読本として何度も使われた。
当時の社会現象的なヒット作品だったのだ。

 

 

この頃、アンディ・ウィリアムスはグラミー賞司会の常連で、
ハンサムなルックスと小粋な司会が素敵だった。

そして僕は彼を媒介にしてグラミー賞の存在を知ったのだった。
グラミー賞でふれた、アメリカン・ミュージックは圧倒的だった。
そして僕は、グラミー賞に出ていたミュージシャンを次から次に聞くようになったのだった。

アンディ・ウィリアムスの英語の発音はクリアで美しく、
英語の発音を学校の授業からでなく彼の歌から学んだ記憶がある。

R.I.P.

http://www.youtube.com/watch?v=ek7kzKIf-IU

66年アンディ・ウィリアムス・ショーでの「マイ・ファニー・バレンタイン」
最後の部分の声のカラーの変わらない「フォルテシモ~ピアニシモ(表の声~ファルセット-ミックスボイス)]の部分が特に素晴らしい。ただただ、ただただ聴き惚れる。

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工藤ゴウ(KUDO GO)宮崎県西都市、西南戦争で西郷隆盛が泊まった旅籠屋跡の古い日本家屋で生まれ、以降延岡育ち。 上京後、現在は東京と宮崎市に拠点。 音楽データサービス、WEBデザイン等デジタルコンテンツ制作の仕事を、かれこれ20年以上続けています。

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