ビートルズとボビー・ヘブ

ビートルズ「赤盤・青盤」復刻世界同時発売とのことだ。僕らの世代がいちばんビートルズを聞いたのは、まさに、この赤盤・青盤だったなあ。

こちら

中学高校時代、ビートルズのアルバムの貸し借りをするときは、ほとんどこの赤盤・青盤だった。

 


8月4日のブログにビートルズ全米ツアー前の騒動の話をちょこっと書いたが、

こちら

その後1966年8月11日ビートルズは来米しシカゴに到着。出迎えに来ていたファンは、たったの200人(その直前の、これも大問題となってしまったフィリピン公演マニラ空港到着時には、5万人のファンがつめかけた)。

ジョン・レノンは、この事実を重く受け止め「ビートルズはキリストより有名」と発言したことについて、同日記者会見(全米に生中継された)にて公式謝罪し、12日の公演を皮切りに、ビートルズの、結果として最後となってしまったライブツアーが始まった。

こちらが詳しい

ビートルズがこの全米ツアーを最後にライブをやめてしまったのは、Wikiに書かれているような機材の問題などもあるが、実はこの件での発言が尾を引き、KKK団からの妨害及び暗殺予告を受けるなどして、ライブ中ツアー中の身の危険を守れないと判断したからだとも言われている

 

ボビー・ヘブとビートルズ

さてこのラストツアー中、クリーブランド・ミュニシバル・スタジアムで公演したのだが、このクリーブランド公演の前座をしたのが、
今年一週間ほど前8月3日に亡くなってしまった
ボビー・ヘブ(ナッシュビル出身の黒人シンガー・ソングライターで
グランド・オール・オプリ(GRAND OLE OPRY)に初めて出場した黒人でもある)だ。

グランド・オール・オプリについてはこちら

ボビー・ヘブ逝去の記事はこちら

ボビー・ヘブは名曲Sunnyの作者。いわゆる一発屋なのだけれども(名曲Sunnyについては面白い話がいくつもあるので、後日書きたい)、彼の2000年のインタビューで、このビートルズ公演について語っている。

ビリープレストンとビートルズ「Get Back」

この中で、ビリー・プレストン(後に「5番目のビートルズ」としばしば呼ばれた素晴らしい大物ミュージシャン)をビートルズ(リンゴ・スター)に紹介したのは彼だという話をしていて興味深い。

もし、クリーブランドでリンゴからボビー・ヘブへの「セッションしたい」って話が無かったら、
レット・イット・ビーアビイロードは、だいぶ違うものになっていたかもしれないってことですね。

こちら

 

 

 

 

Please follow and like us:
The following two tabs change content below.
工藤ゴウ(KUDO GO)宮崎県西都市、西南戦争で西郷隆盛が泊まった旅籠屋跡の古い日本家屋で生まれ、以降延岡育ち。 上京後、現在は東京と宮崎市に拠点。 音楽データサービス、WEBデザイン等デジタルコンテンツ制作の仕事を、かれこれ20年以上続けています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です