「15の夜」の舞台になった練馬区向山3丁目の向山公園

「15の夜」の舞台になった、練馬区向山3丁目の向山公園です。向山3丁目は「城南住宅」と呼ばれる高級住宅街のある、閑静な住宅地区です。
「15の夜」の歌詞についてはいくつか説があるようですが、私が尾崎豊公式サイトを運営していた時に、「天国の尾崎へ」掲示板で「15の夜メンバー」の皆さんが語っていた話によると・・・
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尾崎豊と「15の夜メンバー」たちが、ここに夜中に集まったのは、実はメンバーたちが13歳~14歳の中学2年生の真冬の頃。
髪が長すぎるという理由で、仲間が教師に学校で強引に髪の毛を切られてしまい、しかも強制的に転校させられることになり、それに反発して尾崎と15の夜メンバーたちは、ここで「家出の計画」を立てたのです。
10255705「盗んだバイクで走りだす」という、尾崎のパブリック・イメージを決定づけたあまりにも有名な歌詞の部分と、この向山公園に集まった日の出来事は、別の話。

尾崎の友人「15の夜メンバー」の一人が、故障して乗り捨ててあったバイクを現在の練馬区光が丘(アメリカ空軍の家族宿舎グラントハイツが米軍から返還され、当時は、廃墟→宅地や公園造成中の立入禁止の180ヘクタールの広大な空き地で、東京中の暴走族や不良のたまり場だった)に、持ってきて隠して置いておき、修理して乗っていたそうです。

で、尾崎は12歳からバイクに乗ることができ、しかしながら亡くなるまでバイクの免許は持たないままだったのですが、そして「15の夜」メンバーの中にバイク免許を持っていたのは2人しかいなかったのですが、15の夜メンバー全員がバイクに乗って遊んでいたとのこと。

グラントハイツ跡は、光が丘という街ができる前は、少し治外法権的な場所でもあったのですね。
尾崎が小学生の頃引越して、中学高校時代を過ごし、85年に世田谷区代田で一人暮らしを始めるまで両親と暮らした朝霞にも、広大な元米軍キャンプ跡地があり、そこでもみんなでバイクを乗り回していたそうです。

 

 

尾崎がタバコを吸っていて、それが発覚したのは(停学になった)、練馬東中(当時は不良学生の多い中学校だった)の体育館裏だそうで、これは今も練馬東中に伝わる話。↓

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