桑田さんの食道がんについての、
いろんなブログや掲示板を見たのだけれど、
サザン・オールスターズの、特に歌詞の歴史的な評価について、
「ちょっと間違っているかな」って気になった投稿が多かったので、
備忘録として、ちょっと振り返ってみたい。
サザンの登場をもって、「日本語ロック論争」が終わったかのようなことを書いている人がいるが、
サザン・オールスターズデビュー(78年)の頃には、
とっくに「日本語ロック論争」なんて風化していて、
「日本語でロック」を歌うってことは、もうすでに
ものすごくあたりまえ中のあたりまえのことだった。
http://www.youtube.com/watch?v=HhPURLflKFg&playnext=1&list=PL9FD1A363723C8D94&index=24「日本語ロック論争」というのが、
中村とうようの主催する「ニューミュージック・マガジン」であったのが1970年。(注1)
この後、すぐに「はっぴいえんど」の「風街ろまん」が71年末リリース、「サディスティックミカバンド」72年、
そして「キャロル」72年「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」73年のメジャーでの成功、
関西の雄「ファニーカンパニー」72年デビューアルバム-ボーカルの桑名正博は76年ソロアルバムリリース。
京都の雄「村八分」73年アルバムリリース、九州ではいわゆるめんたいビートの親玉「サンハウス」が75年にデビュー、
北陸の雄「めんたんぴん」75年、関西のR&Bバンド「サウストゥサウス(英語曲のカバーも多かった)」75年ライブアルバムリリース。
http://www.youtube.com/watch?v=WDNVhx_9_Dw「カルメン・マキ&OZ」が1975年アルバムリリース。「頭脳警察」をやっていたPANTAは76年にソロアルバムリリース、
ツイスト・原田真二とともに、ロック御三家と呼ばれた「Char」が76年デビューアルバムリリースで、
もうすでに、「日本語ロック」は百花繚乱だった。(注2)
さて、ではデビュー時サザン・オールスターズの日本語ロックのどこが衝撃的だったのか?
これは、はっきり言って歌詞の「文学性」を破壊し尽くしてしまったことにつきる。
それまでの歌謡曲もロックもフォークも、歌詞だけを抜き出しても「詩」として成立するものが大半だったわけだが、
「勝手にシンドバッド」は、文法的にいいかげんで「詩として成立してない歌詞」だった。
語感と歌いたいメロディのリズム乗りを最重視して、日本語の単語と英語の単語とのつぎはぎだらけの歌詞。
「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん(新潮文庫桑田佳祐著)」と開き直り、
ノンポリで、すけべでナンセンスで・・・・・・
しかし、すごくポジティブで、16分音符の符割にまで単語がぎっしり詰まり、疾走感に溢れ、
その単語のチョイスは、今まで聞いたことのないような斬新なものだった。
(注1) この「日本語ロック論争」については、内田裕也さん側の立場から、日を改めてちゃんと語ることにする。
(注2) なにが「ロック」か?という話題は、またそのうち書きたい。