ロキシー・ミュージックが日本最大の野外音楽イベント「フジロックフェスティバル」で
来日ライブやってすぐの自殺って・・・・
ずいぶん前から、この日を人生の終わりの日と決めていたのだろうか。
今野雄二氏は、さまざまな音楽や映画の紹介者として、実にアンテナの感覚にすぐれた人だった。
ロキシー・ミュージックやトーキング・ヘッズやデ・パルマは、
彼が、当時あれほどの情熱を持って紹介をしていなかったら、
日本でこれほどまでの評価は、得ていなかったかもしれないなあ。
今野雄二訳「ブライアン・フェリー詩集【アヴァロンの彼方へ】」は、
僕んちのダンボール箱の中に今もある。
「AVALON」は、80年代の世界すべてのポップ・ミュージックアルバムの中で、
最高峰10枚の中の一枚だと今も思っている。
僕が乗っていた車のカーステレオには、必ずこのアルバムが入れてあった。
そして「AVALON」がリリースされてから10年間ぐらい、
東京都内のどのレコーディングスタジオに行っても、
リファレンスCDとして、ミキサー卓の脇にこのアルバムが置いてあった。
曲もアレンジも演奏も、トータルアルバムとしての完成度もすべてが別格で、
ボブ・クリアマウンテンのミックスもこれまた別格、
レコーディングミキサー、エンジニアにとっての最良の教科書だった。
今野雄二氏が、いろいろな新しい音楽や映画やファッションを紹介していた頃と今とでは、
明らかに世界は様変わりした。
ロンドンやニューヨークのアンダーグラウンドシーンの様子なんて、
日本には、まだリアルタイムでは入ってこない時代で、
当時僕らは、彼みたいな評論家や雑誌の記事などを媒介にしてしか、
情報を知り得なかったのだ。
こういう人たちが先取りしたものを流行として、
音楽業界やテレビやファッション業界が仕掛け、
それをリスナーや視聴者が追いかけるっていう構造があったように思う。
今はこういう人たちの
活躍できる居場所は、本当に少なくなってしまった。
世界中のアンダーグラウンドシーンで何が聞かれていて、どんなファッションをしていて
どれだけ客を集めているか、ってことまで、今やネットで、
僕らは同時進行でつぶさに知ることができるようになり、
それを紹介することまで、一介のブロガーができるようになった。
今、プロの評論家って、実はもう
誰も必要としていないのかもしれないなあ。