11月29日は、尾崎豊の誕生日だ。
僕が何年かまえに尾崎豊の最後のマネージャーだった大楽光太郎さんとよく会っていた頃、
(大楽さんは、ベストセラー「誰が尾崎豊を殺したか」の著者)
大楽さんは尾崎の残した歌の歌詞について、尾崎以外の他者が解釈することに対して少し否定的だったが、
僕は逆で、どんどん語るべきだと思っている。
表現者が残したものについて議論することや歌い継ぐことが、
さらにその表現物の価値を高めてゆくと思うからだ。
そして、語られることや歌い継がれることのなくなったものは、歴史に忘却されてゆく。
ということで尾崎の残した作品の中で最も難解と言われる「Love Way」の、
「共同条理の原理の嘘」についての僕なりの解釈をしてみたい。
①共同条理って何?
共同条理(尾崎が、問題作「Love Way」で使った言葉。条理というのは事物の本性や社会通念のこと。)
=共同幻想(元は戦後日本思想界最大の巨人とも言われる吉本隆明の使った言葉で、この「共同幻想」というキーワードは
60年代末から今までの日本思想界において、もっとも重要な語のひとつだ。-同じ文脈で岸田秀にも引き継がれた。)
=共同主観(廣松渉-日本の70~80年代を代表する哲学者の使った言葉。)
単語の選択は違うが、意味するところはほぼ同じだ。
「人と人とのつながりから共同体が形作られ、その共同体のひとびとの観念の共有から、
法や倫理や宗教や国家が生まれる」という考え方だ。
人は単体だと、単なる「ヒト科」の2本足の生き物にすぎないが、
他者との関係性の中でさまざまな考え方を共有し、善悪の判断や、
ものごとを判別する基準が生まれ、そこではじめて「人間」という社会的動物となる。
難しそうに聞こえるかもしれないが、こう考えてみよう。
「モノの価値」や「あなたの生きる意味」ってなんだろう。
そこに100kgの金の塊が落ちていても、それは単体だと単なる物質だ。
「100kgの金の塊の価値」というのは、
実は人間と人間との関係性の歴史の中から生まれてきたものなのだ。
「あなたの生きる意味」って、家族や組織やコミュニティーとの関係性が無くなり
あなたが天涯孤独のまったく他者と関わり合いのない存在になった時にも、
果たして存在するだろうか?
身近な例を音楽にとるとこういうことだ。
「仰げば尊し」という歌があり、昔は卒業式の定番ソングだった。
今は卒業式にはほとんど使われない。歌詞が難解で、子供には歌いにくいというのがその理由らしい。
共同体の共通体験としての「仰げば尊しを歌う」という行為がなくなれば、
この曲に対する共同幻想である、思い入れや思い出も世代が新しくなるごとに希薄化してゆき、
当然「仰げば尊し」の楽曲としての価値も損なわれていくことになる。
②「共同条理の原理の嘘」って何?
尾崎が「Love Way(1990年11月リリース)」を作るときに、大きい影響をうけたのが
吉本隆明の共同幻想論で、尾崎は吉本隆明を尊敬していた。
小説のほうの「Love Way」でも共同幻想論のことを書いている。
しかし、その尊敬の念とはうらはらに、
「共同幻想論」を否定しているのが「Love Way」だ。
この「Love Way」の歌詞を素直に読んで欲しい。
LOVE WAY 尾崎豊 歌詞情報 – goo 音楽
上記のような「共同幻想(観念)論」によって導かれる原理を「嘘」と言っているわけだ。
これは、
「全てのものが置き換えられた幻想の中で 犯してしまっている気付けない過ち」
という表現にも現れている。
全てのものを幻想(人間の観念)に置き換えた「何か」の存在があって、
その「何か」によって置き換えられた共同幻想の中で、人間は過ちに気付けないでいるというのだ。
「何かに裁かれている様な気がする」
その何かだ。
「生きる為に与えられてきたもの全ては
戦い 争い 奪って 愛し合うLove Way」
ここでは「与えられてきたもの」という語が見える。
つまり人間が生きる為に「与える者」がいるということだ。
戦争も生存競争も「Love Way」という者が与えた試練ということになる。
LOVE WAY – Yutaka Ozaki
http://www.youtube.com/watch?v=NP-L85r_sbc
③「Love Way」とは「アガペー」のこと
「Love Way」の最終節で尾崎は歌う。
「人間なんて愛に跪く Love Way」
素直に読み解いてみよう。
人間が「愛」に跪く(ひざまずく)のだから、
尾崎にとって「愛」は「人間」の上位に位置するものだと考えていたことがわかる。
「人間」の上位に位置する、人を統べるような「愛」ってなんだろう?
これはさまざまな宗教に、同じような概念がある。
つまりキリスト教における「アガペー」であり、仏教における「慈悲」であり、
イスラム教における「慈愛」だ。
こういう「人間」の上位概念としての「崇高なる愛」のことを、
「神」と呼んでもいいだろうが、
尾崎は「神」という言葉は使わず「Love Way」と呼んだ。
国家や宗教が、共同幻想(共同主観・共同条理)によって生み出されたものならば、
すなわち「神」もまた、共同幻想(共同主観・共同条理)によって生み出されたものということになるが、
「ちょっと待てよ。神(尾崎の言葉に従えば絶対的真理=Love Way)がまずあって、
そのあとに人間が存在するんだろうよ。」
と尾崎は考えたわけだ。
この曲を書いた90年から91年頃の尾崎豊は、斉藤由貴と恋愛関係にあって、
この時期ふたりは、キリスト教(モルモン教)の教会に何度も通った。
これ以降に書かれた尾崎の作品には、「キリスト教的なもの」の影響が色濃い。
厳密に言うとモルモン教=キリスト教ではなく、
尾崎はモルモン教に帰依したわけでもないので、
ここでは「キリスト教的なもの」と書いておく。
尾崎が急逝した時に斉藤由貴は、
「彼は同志でした。」とコメントしたが、
それには、ちゃんと意味があったのだ。
またキリスト教だけではなく、仏教の影響も尾崎の作品には見られる。
それについては、またの機会に書くことにする。
「全ての存在は罪を背負わされるだろう」
これはキリスト教における「原罪」、仏教における「カルマ」だ。
こういう語句にも、はっきり宗教的側面が現れている。
さてこういうことを書いて歌ったアーティストは、
日本の音楽史の中では、尾崎以外にはほとんど思い浮かばない。
まことに重くそして根源的なテーマの曲であり、
しかもちゃんとPOP SONGとして成立している。
たった一曲の歌で、思想や宗教のことをこれほど伝えているということ自体が凄い。
尾崎豊は天才だ。
“共同条理の原理の嘘って何?尾崎豊バースナイト” への7件のフィードバック
なんだかわからないが
この件に関して分析しているあなたも天才だ。
山本七平の言う、「空気」に近いものを感じます。日本人の美徳であり、短所である所。共同条理というのは結局「同じ行動を取る=他人の個性を認めない」所ではないでしょうか?山本七平は「空気」の原理ついて説明はしておりませんでしたが、私は「担保」と解釈しております。他人と同じ行動を起こす事。それを「担保」にして信用創造を起こす。簡単に言うと「そうだよねー」となんか深く考えておらず、真理ではない考え方がいつの間にか真実になる。尾崎豊は日本人のこういった行動が嫌で仕方なかったのではないかと思います。また、Love Wayはキリスト教の原罪に近い所を感じますね。もし、尾崎が哲学や宗教のみでなく、「中庸」を思想の根本におく、量子力学を勉強していれば、彼の才能をうまく、「空気」が支配する日本で生きながらえさせていたのではないかと思います。
そこまで分析できるなんて凄すぎます(>_<)
自分は仏教とかキリスト教だとか、宗教については全く解らないんですけど、何となく解る気もします。でも、分析しているのを見ると尾崎の言っていることが、神様の声にも聴こえてくる気がします。愛に跪くって言うのは、自分達が知らないうちに、愛と言う者に跪いていると思います。
色々読んでて、今しがたこのサイトに立ち寄り、大ヒントになりました。
長年難解だったlovewayの解釈が、自分なりにピンと来て…
一時期はただ、そういう言葉の羅列かと思ったのですが、解釈があるととても平たい物言いすらに感じます。
でも結局、アガペーの前に足掻く我々を皮肉混じり滑稽にと捉えるか、泥臭いけど最終的な人間の愛を信じてるとして、その上で足掻いてる我々の滑稽さとどちらなのかな?と。
多分前者でしょうね、でなきゃ連呼&タイトルとしっくりこない(^^;;
なのだけど、後者の方が妙に不器用な人間くさい気もして魅力的。
空は青い
小さい頃からそれを「当たり前」と育ち、育てられた。
でも実際は「青い」訳ではなく「青く見える」です。
皆がそう思ってる思わされてる、まわりが言ってるからそれが真実だ…でも本当は違う…
そんな意味合いだと私はずっと思ってました。
共同条理の原理の嘘。
むずかい話しを若干24歳ぐらいの年齢でそうい事を考えていた尾崎豊をすごいと思います。また、それを歌にする、またかっこいい歌にする、また何回も聴きたくなる歌にする。なんやろなぁこの人はと考えさせられます。すごいなぁと思います。
デカルトの『我思う故に我あり』
全ての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識自分の存在を疑うことができない。
に近いかなと思います。あと、被害妄想が少々。
人間が作ったルールの中で、良い悪いとか決めても全てが意味ない。
それは人間が勝手に決めたことだから。
でもそんなことを言ってる自分も意味ない。
残ったものは罪と欲望、本能。
でも、全ては愛の前に無力。
噛み砕いたらこんなことかなと。