2010年の訃報「浅川マキ」

今年亡くなった方々のことは、このブログでも何回か書いた。
2010年の訃報に関するエントリー

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宇宙戦艦ヤマトの原作者・西崎義展(弘文)さんの訃報
「宇宙戦艦ヤマト」の原作者西崎義展さん

しかし浅川マキのことをちゃんと書いていなかったので、きちんと追悼したい。
今年1月、浅川マキの訃報ニュースにふれ、
2ちゃんねるには、たくさん追悼カキコした覚えがあるが・・何を書いたか忘れてしまった。

浅川マキが亡くなった時に、
すぐに感じたのは、一度も彼女のライブに行かなかったことへの後悔の念だった。
池袋・文芸座地下ルピリエで毎年年末に公演をやっていて、
80年代の頃ずっと行きたいと思っていた。友人と行く予定まで入れていたのだが、
結局師走の忙しさにかまけてかなわず、それからいつのまにか浅川マキのことも忘れてしまっていた。

亡くなって思い出して、後悔するのでは遅すぎる。
行ける時に行かないとね。

浅川マキのような、生前から「生きる伝説」であったアーティストは、日本では稀だ。
彼女は、人生も音楽もファッションも 、関わった作品のデザインもすべてぶれずに、自分の美意識に忠実にトータルアートとして全うした、

昭和以降の日本音楽史の中で、彼女以外には誰も右に出る者がいない
ワン&オンリーのアーティストだった。

彼女の生き方は誰にも真似ができない。

60年代末から70年前半には、サブカルなんて言葉もニューミュージックなんて言葉も、
ましてやJ-POPなんて言葉もなかったし、
日本のロックもフォークもアンダーグラウンドだったし、
(「帰って来たヨッパライ」「受験生ブルース」が68年に大ヒットして、
この頃からフォークは、メジャーになっていったが)
メジャーシーン(音楽では歌謡曲)とアンダーグラウンドっていう、はっきりした対立項があった。

浅川マキはそういう時代背景の中でこそ出てきたアーティストで、
「アンダーグラウンドシーン」を代表する時代のシンボルそのものだった。

ざっくり言うとその対立とは、当時のメジャーシーンのシンガー達は、
誰かがプロデュースしたラインに沿って、着せ替え人形になって、
誰かが作った歌を歌わされるということであり、
浅川マキのようなアンダーグラウンドのアーティストたちは、
自分で自分のやりたいことをプロデュースし、
自分が着たい服を来て、自作の曲など自分が歌いたい歌をやるんだよっていうことだった。
そしてそのアンダーグラウンド文化が全共闘世代に支持された。

これは当時の時代背景もあって、
ベトナム戦争に加担する側(米国&同盟国日本政府)と、
それに反対する側(学生運動など)という対立と音楽シーンとがシンクロしていたわけだ。

ちょっと脱線するが、
日本は太平洋戦争敗戦で、ものすごいトラウマができてしまい、
「戦争=絶対悪」という価値観が戦後からずっと今日まで続いている。
これによって60年~70年当時は、ベトナム戦争に加担した国のイデオロギー=米国資本主義が絶対悪であり、
米国資本主義に対立する共産主義・社会主義こそ正しいのだという幻想に、
反戦思想が刷り替わってしまった。
日本の新左翼が、世界的に見てものすごくドメスティック&ガラパゴスなヘンテコ思想になっちゃったのは
これに起因すると思う。

実際は、共産主義・社会主義というのは、「反戦」とは関係がなく、
ソ連(当時)も中国もめちゃくちゃ侵略的で、弾圧的な国々なわけで、
「反戦」ということと資本主義VS社会主義みたいな「政治イデオロギー」というのは、
まったく別の問題だということが今になってみるとよくわかる。
資本主義国であろうが共産・社会主義国であろうが、膨張主義に陥れば戦争を引き起こす側に回るのだ。

膨張主義に陥り、戦争・弾圧を仕掛ける側というのは、ファシズムに近い国が多く、
(共産党)独裁体制が、資本主義国のほとんどの政治体制より、大きな政府で政府の権力が強くファシズムに近いから、戦争・弾圧を仕掛ける側になりやすい
ということは、素直に考えてみればあたりまえのことだったのだが。

今の日本を考えると、
経済的にも外交的にも、民主党政権(当時の新左翼が中枢にいる政権)になって、
ますます孤立&没落して暮らしにくい国になってきている。
結局全共闘世代の信じていた新左翼思想っていうのは、
共同ユートピア幻想みたいな、カルト新興宗教とまったく同じ性質のものだったわけだ。

さて、浅川マキは全共闘世代にとってのイコンではあるが、
ただただ自分の表現したいことに忠実であるということを生涯貫いたアーティストで、
作品を見ると、別に政治的にどうこうということを主張する存在だったわけではない。
もし、今でもそういう政治的な色眼鏡で見られてしまうのであれば不幸なことだ。

代表曲「夜が明けたら」
この当時の日本すべての音源中白眉じゃないかと思う。
シャッフルしているビートへの、押したり引いたりする完璧な乗り方がすごい。

https://www.youtube.com/watch?v=4pKq_Bzqdw8

これは4ビートの100%ジャズ。このボーカルも素晴らしい。
Maki Asakawa - 今夜はおしまい
http://www.youtube.com

これはジャズ+シャンソン
浅川マキ – さかみち(1971)
http://www.youtube.com

これはモダンジャズ
浅川マキ – 都会に雨が降る頃(1980)
http://www.youtube.com

これはフリージャズ
浅川マキ – あの男がピアノを弾いた(1980)
http://www.youtube.com

サウンドコラージュ
浅川マキ – 夢なら (1983)
http://www.youtube.com

これもコラージュっぽい
ピアノ(メロディだけ)と時計の音とベースと後半ピチカートのストリングス
浅川マキ – 炎の向こうに (1983)
http://www.youtube.com

そういえば昔、一条ゆかり「デザイナー」あたりの頃の作品に、
浅川マキの「MAKI」というロゴやファッションに影響を受けたものがいろいろあったと記憶している。
一条ゆかりは当時、浅川マキファンだったんだろうなあ。

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