馬頭人身の僧形馬頭観音像

昨日、練馬東中学校の体育館の写真を載せましたが、この練馬東中のすぐ近くのお寺「本寿院」に、たいへん珍しい造形の観音像があります。
練馬区登録有形文化財の僧形馬頭観音像です。法衣を着て数珠を持って座っている、1823年作の馬頭人身像で、日本での馬頭人身の造形例はほとんどないそうです。
あまり詳しくはないのですが、ひょっとしたら、江戸時代以前に作られたものは、これ以外にないのでは?高さ44cm、大きい物ではありません。
貴重な像ですが、たくさんの人達がさわるので、欠けたみたいでそれが少し残念です。
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関東では馬頭観音は、いたるところにあって、文字だけ石に彫ってあったりするものも多いです。江戸時代に民間信仰で、働いてくれた家畜の供養や道安全のために作られたようですね。
調べて見ると、インドのハヤグリーヴァhayagriiva(馬頭観音)は、絵も彫刻も馬頭人身のものがたくさんあって、こういう絵が江戸時代に日本に入ってきていたのでしょう。

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関東ほどではありませんが、馬頭観音は九州や我が故郷「延岡」にもあって、馬頭観音祭がこのあいだあったと0982TVさんが記事にしています。
http://0982.tv/2014/04/09/batoukannnonn/
上リンク記事で注目すべきは、延岡で馬頭観音祭があった地名の「須佐町」の文字です。

これは「スサノヲ須佐之男」の須佐ではないでしょうか。
インドのハヤグリーヴァhayagriiva(馬頭観音)の化身が、日本では須佐之男という説もあるようです。

馬が日本に入ってきたのは弥生時代後期以降で、須佐之男が登場するときに神話にも登場するので、大陸から出雲(須佐之男は出雲の神)に、初めて入ってきたのではないかと推測されますね。
日本列島に入ってきた当初から、馬に対する畏怖の念みたいなものがあり、須佐之男の神話と重なっていったのでしょうか。
吉祥天や七福神は、インド(ヒンドゥー)→シルクロードを通って→中国→日本と伝わってきました。馬頭観音も同じように伝わってきて、須佐之男神話と結びついたのかもしれません。

 

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