サッカー日本代表・長友佑都選手とタレント・平愛梨さんとの熱愛報道を受け、「キリンカップ」日本VSブルガリア戦の時に、にわかに注目を集め、流行語となりそうな「アモーレ」という言葉ですが、この言葉は、日本で1960年頃にも流行したことがあります。
イタリア映画の名匠ピエトロ・ジェルミ監督の傑作「刑事(原題:Un maledetto imbroglio-1959年公開)」の主題歌『Sinno me moro(邦題:死ぬほど愛して)』の歌い出しが、♪アモーレ・アモーレ・アモーレ・アモーレ・ミオ♪(和訳-♪愛しい人・愛しい人・愛しい人・私の愛しい人♪)で、この曲は当時の日本のラジオでかかりまくり、映画ともども大ヒットしたのでした。
日本のチャート番組草分けで、とてもリスナーの多かった文化放送「ユアヒットパレード」でも、アリダ・ケッリ(作曲者カルロ・ルスティケリの娘)の歌うサントラ盤が、1960年5月にランクインし、夏から10週以上ナンバーワンを続け、年間ランキングで も「 太陽がいっぱい 」に次ぐ2位となり、長い間上位にランクインを続けました。「太陽がいっぱい」はインストゥルメンタル・ナンバーですから、歌ものの洋楽曲としては同年の最大ヒット曲だったわけですね。
映画「刑事」の製作された1959年は、イタリアも日本もまだ敗戦後の復興の途上にあって貧しく、似たような社会状況下にありました。
ささやかな幸せを願いながら、貧困ゆえに犯す罪の哀れさと愛というテーマが、当時の日本においても共感を呼んだのでしょう。
ラストシーンの、婚約者を乗せた車を女主人公が追いかけるシーンにかぶさってくる主題曲、♪アモーレ・アモーレ・アモーレ・アモーレ・ミオ♪の歌は、日本中の観客の心を揺さぶったのでした。
映画「刑事」は国際的にも高く評価され、幾つかのシーンは、巨匠・黒澤明監督の1963年の名作「天国と地獄」にも影響を与えたそうです。
主演のクラウディア・カルディナーレは、この映画が出世作で、その後も幾人もの名監督に起用され数々の名画に出演し、イタリアを代表する映画女優となっていきます。
60年代から70年代にかけて、ブリジット・バルドー(B.B.)、マリリン・モンロー(M.M.)と並んで、世界のメディアにC.C.と呼ばれるトップスターの一人でした。
この映画でも、可憐さ・美しさと、哀しさと、見事な演技力が光っています。
そしてもちろん、胸にメロンを2つ入れたかのような豊かなバストラインの説得力も・・・・
『Sinno me moro(死ぬほど愛して)』は、日本語のカヴァー・ヴァージョンも、たくさん出ています。岸洋子・浜村美智子・朝丘雪路・淡谷のり子・伊東ゆかり・辺見マリ等々。なかでも岸洋子さんのヴァージョンが、もっともよく聞かれたようです。冒頭の♪アモーレ・アモーレ・アモーレ・アモーレ・ミオ♪の印象的なフレーズは日本語盤でもそのままですね。
僕にとっては同時代のヒットではないこの曲をよく覚えているのは、25年以上前に六本木でハコ仕事をやっていた頃、お店のスポンサーだった故・内田勝さんが、この曲をたいへんお好きで、リクエストで週に何度も演奏したからです。
ちゃんとした楽譜が当時入手できなくて、耳コピしたっけなあ。歌なかは、ほとんど3コードで演奏できちゃう曲ですが、哀愁のあるたいへん美しいメロディで、客受けも良かったです。
(その後、全音楽譜出版の楽譜集「永遠のポップス 2」に収録されました。―全音楽譜出版「永遠のポップス1.2」「1001」は、昔のハコ仕事ミュージシャンにとってのマストアイテムでした。)
故・内田勝さんは、上の写真『奇の発想-みんな少年マガジンが教えてくれた』の著者で、少年マガジン黄金期の”伝説の”編集長だった方です。
NHK朝のテレビ小説『ゲゲゲの女房』で、水木しげる先生『ゲゲゲの鬼太郎』を世に送り出した豊川悟役のモデルとなった方として有名ですね。
内田勝さんが世に送り出したのは、ほかにも『巨人の星』『あしたのジョー』『天才バカボン』『タイガーマスク』『仮面ライダー』などなど、キラ星のような作品群です。
「ウルトラ怪獣大図解」をグラビア特集して一大怪獣ブームを巻き起こしたのも、内田さんです。
→ テレビ特番「ゲゲゲを発掘した男~奇の編集長・内田勝~」
実は内田さんのこの輝かしい業績を知ったのは、お店を辞めてずいぶん後になってからでして、お店でお話を伺う時には、もっぱら映画のことでした。
この映画や、ジャン・ギャバン「望郷」、「第3の男」「カサブランカ」などなど。
「♪アモーレ・アモーレ・アモーレ・アモーレ・ミオ♪って当時、誰でも口ずさんだんだよ。」とお聞きしました。
https://www.youtube.com/watch?v=V8dpav2VVhg
長友佑都選手と平愛梨さんの熱愛報道を読んだ時に、この曲のことを思い出し、Twitter等でいろいろリサーチしたのですが、ヒデとロザンナ「愛の奇跡」↑や、中森明菜「ミ・アモーレ」の話題はあっても、この『Sinno me moro(邦題:死ぬほど愛して)』の話が、ほとんど出ていなかったのは意外でした。
1960年の日本における洋楽チャートで、一二を争うヒットだった一世を風靡した名曲も、世代の共通体験として覚えている人たちが少なくなれば、日本では忘れ去られていくのでしょうか?
少し淋しいことですね。
歌詞(原語)が知りたい。