森田童子さんが亡くなっていたことが一昨日報じられて、昔々、コンサートの裏方さんをやったことを思い出しました。森田童子さんと風とのジョイントコンサート@山口市民会館大ホールだったかな。楽屋でもサングラスをかけていたような。。。伝説のまま、亡くなったんですね。
少女のような声で、独自のダウナーな、しかしイノセントで儚くて美しい世界観を歌っていた、唯一無二の不思議な個性でしたね。
当時のレコードジャケットやポスターなどの写真だと、サングラスのコワモテ風なイメージですが、小柄で華奢な、色白の可愛らしい感じの方だったと記憶しています。
1983年の新宿LOFT公演でライブを止めてしまったので、見た記憶のある人って少ないんでしょうね。
同じぐらいの時期に僕も新宿LOFTに出ていました。あの頃の新宿LOFTっていい場所だったなあ。
80年代に入って、世の中はフォークの時代からロック・バンドやシティ・ポップスの時代へとシフトしていったのですが、新宿LOFTはロックバンドの聖地的ハコでありながら、フォークの方たちもたくさん出演していました。
森田童子さんの歌詞には学生運動(全共闘)の影が色濃くありました。彼女のさまざまな曲や、70年代後半のユーミン「いちご白書をもう一度」中島みゆき「世情」などに、学生運動をめぐる当時のことが歌われていますね。
森田童子さんの歌詞には、そういう運動に挫折して、新しい時代についていけない者、変わっていけない者、立ち直れないほど傷ついた者への優しさと慈しみがあったように思います。
同じように学生運動の敗北の痛みを歌った作品でも、ユーミンの「いちご白書をもう一度」は、名曲中の名曲ではありますが、名品の短編小説のように隙無くこしらえた作品だと、僕は感じます。
森田童子さんのデビュー曲「さよならぼくのともだち」は、「作品=作り物」というレベルを超えるほどリアルで、目の前に自死していったともだちの姿がありありとそこにいるように感じられる、ものすごい歌詞だと思います。
彼女がフォーク歌手として歌うきっかけとなったのは、学生運動をしていた友人の自殺だったとのことですね。
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彼女の「孤立無援の唄」というのは、全共闘のバイブルのひとつだった高橋和巳「孤立無援の思想」のことが出てくる曲です。
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この本は僕も学生時代に愛読しました。今の左翼(というかリベラルというか)は、知識と知性を持った我々エリートが、無知蒙昧な大衆を導いてやるぞみたいな「上から目線」の傲慢な部分が鼻につきますね。しかし高橋和巳には学生や大衆と同じ目線、同じ立ち位置に立とうという真摯な誠実さがありました。
彼女の歌詞にも歌声にも、同じく真摯な誠実さがあり、傷ついた者と同じ地平に寄り添うように立って痛みを共有しようとしていました。歌われている風景は40年近くも昔のことなんですけど、今も時代を超えて聞き継がれている大きな理由だと思います。