ジミ・ヘンドリックスの40周忌ということで、
世界中で記事になっている。
なぜジミ・ヘンドリックスは今も重要なのか
http://seattletimes.nwsource.com/
さまざまな有名ミュージシャンの語るジミヘンへの敬意
http://www.signonsandiego.com/
キースリチャーズ、スティング、トレイシーチャップマン、ジョージ・ベンソンなどなど
今週末シアトルでの追悼イベントのお知らせ
http://seattletimes.nwsource.com/
ジミがどんな人物だったか(性格など-脆さがあったという指摘)
http://www.vanityfair.com/
11月に「エクスペリエンス・ヘンドリックス」というジミヘン・トリビュートツアーがあるとのこと。
メインアクトはスティーブ・ヴァイ+リビング・カラー。
スペシャルゲストは、ポール・ロジャース、ジョー・サトリアーニ、
ヒューバート・サムリン、バディ・ガイ、カルロス・サンタナ、ロビー・クリーガー(ドアーズのギタリストね)。
http://www.metrowestdailynews.com
これ観たいねえ。
ジミヘンに大きい影響を与えたヒューバート・サムリンやバディ・ガイが、
ジミヘン没後40年にして未だ現役というのは、すごい話だねえ。
何歳だよ?って調べたら、今年78歳と74歳だ。
さすが、60歳でも若造と呼ばれるブルース界だわ。
バディ・ガイの「This Is Buddy Guy」って、僕の愛聴盤だったな。
一曲目に入ってるのは「I Got My Eyes On You」
https://www.youtube.com/watch?v=4Rbel3YOifg
これ、日本史上最強のブルースバンドだったブレイク・ダウンの18番ナンバーだった。
バディ・ガイのバージョンよりすごかったかもしれない。
それで思い出した。
十年一昔というから昔昔半ぐらい前の話だけど、
山口市湯田温泉駅前の「ラグ」というライブハウス+喫茶で、
(今は「Cafe de DADA」って名前なんだね。)
ブレイク・ダウンのライブがあったのよ。
店主の香原詩彦さんという方が、
(この方は、山口県&山口市のロック史フォーク史にとって最重要人物、最重要イベンターです。
この方がいなかったら、山口県のこの30数年間のサブカルチャー史は、実に味気ないものになっていたはず。)
お店の裏の、寮みたいな建物をほぼ一棟借りしておられて、ツアーに来たミュージシャンの皆さんが泊まれるようになっていたのね。
僕は、山口大学在学中途で、ほぼ卒論だけ残して東京に出てきていたのだけれど、
大学8年生時、さすがに卒業は、せにゃならんわなということで、
東京・山口を何度も行き来し、
山口では、この香原さんのところに何度も何度も居候したのですよ。
(香原さんお元気でしょうか?源の助さんは元気で頑張っておられるようですね。ご無沙汰してまことに申しわけありません。)
このブレイク・ダウンのライブ時にも居候していて、お店での打ち上げが終わったあとは、
その香原さんちで打ち上げの続きをメンバーの皆さんや、お店の常連さん達とやったのよ。
近藤房之助さん(「踊るポンポコリン」で一世を風靡したけど、実は日本有数のブルースマン)は、
早めに眠っちゃったんだけど、残りの皆さんが超ファンキーでね。
ベースの森田さんが、明け方まで落語の独演会をしたの。
ものすごくお上手な、本物の落語家よりすごいんじゃないの?という落語で、
乗ってきて、確か圓生(先々代ね)や志ん生のモノマネもしたのね。
でもこれ延々と何時間もやるので、名人芸なんだけど、
ライブの客だった僕らは夕方から一杯やってるから、
酒入ってるし、眠くて寝ちゃうのよ。
そうすると、「森田さんがここまで乗ってるのは珍しい。
めったに見れるもんじゃないから。」ということで、
メンバーの服田さんやお店の常連さんが僕を起こすのよ。
そして朝がくるまで、寝ちゃあ起こされ、酒を飲みながらこの独演会鑑賞は続いたのでした。
ありゃ、
ジミ・ヘンドリックスのエントリーなのに、
おっさんの想い出話になってしまった。動画はバディ・ガイだし・・・
僕は、ジミヘンに関してはもうさすがに、この40年で語られ尽くしちゃったような気がするわ。
なんせローリングストーン誌選定、史上最重要ギタリストだからねえ。
一つはっきりと言えることは、
「今エレキギターで出せるほとんどの音は、ジミヘンがとっくの昔に出した音。」ってことですね。
今日は、おっさんの想い出話につきあってくれてありがとう。