高野悦子「二十歳の原点」

「女子校育ち」のオノ・ヨーコ、レディ・ガガの名前に関連して思い出した本。
高野悦子(69年逝去)の「二十歳の原点」。
僕らの世代が中学生の頃の大ベストセラー。美しい言葉で綴られた生真面目で哀切な青春。


いわゆる文学少女系の女の子たちが、当時愛読していた。僕の昔のガールフレンドもこれを読んで、影響を受けたとか言ってたっけなあ。
これの少し前に奥浩平(65年逝去)の「青春の墓標」があった。その5年ほど前には歌人岸上大作(60年逝去)の「ぼくのためのノート」があった。
3人に共通するのは、学生運動(社会運動)との軋轢。そして恋のトラブルによる自死。
この3人のケースは驚くほど、よく似ている。

学生運動の軋轢部分のキーワードというのも共通していて、「自らのブルジョア性の否定」や「エゴの否定」などがそれだ。
「ブルジョア性」や「エゴ」というのは本能的なもので、これを生真面目に否定し、さらにこれも本能である「性愛」がうまくいかなければ、そりゃ死にたくもなるよなあと思う。

「高価だが美味しいものを食べたいとか、美しく着飾りたいというささやかなブルジョア性」や「エゴ」を否定する人生はつらいだろう。
そのうえ、抱きたい人を抱けなかったり、抱いて欲しい人に抱いてもらえない人生はつらいだろう。

エゴや欲望を抑えつけるというのは、本能を抑えつけるのと同じことで、それを代償に「自分が社会の中でどう役立つか?」ということを追求するのは、きっと宗教の仕事なんだろう。
宗教には代償のご褒美として「祈り」のカタルシスや喜びがある。

でも唯物論のマルクシズムにはその喜びが無いから、高野悦子さんのように生真面目な人は、ただただ傷ついてゆくしかなかったのだと思う。
生真面目な人ほど、傷つきやすく折れやすい。

オノ・ヨーコさんやレディ・ガガは、こういう自分の欲望を全く否定せず、力強く肯定しながら、社会運動にもコミットする。
そこには全然、「ムリ」がない。

全共闘世代ってやっぱ、とめどもなく「ムリ」してて、あえて言っちゃうけど、とめどもなく「おバカ」だったんだよなあ。

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