デビッド・ボウイ、尾崎豊、大江健三郎の息子たち

数日前に「ONE OK ROCK」森進一のDNAというエントリーを書いたばかりだが、
超大物アーティスト二世たちのニュースがいろいろ出ている。

デヴィッド・ボウイの息子、ダンカン・ジョーンズが映画『スーパーマン』の続編を撮るかもしれない。 尾崎豊の息子、尾崎裕哉がFMラジオのDJとしてデビュー。テレビ朝日のソース
オリコンのソース

この二人に個人的な才能があるのかどうかは、今はまだよくわからない。
しかし生まれながらにして有名人というのは、すでに彼らの財産で、
そういうことを妬んだりする人もいるようだね。


さて10年ほど前の話だが、
坂本龍一と浅田彰が大江健三郎の息子である大江光の音楽をこき下ろしたことがある。

 

「大江光を持ち上げるのは、ポリティカルコレクトネスの行き過ぎだ。音楽家はその作品で評価されねばならない。
大江光は、作品の質としては、まったく評価できない。」という主旨だった。
僕は、大江健三郎のことは好きではないし、大江光の音楽も好んで聞いているわけではないが、
これは、坂本龍一や浅田彰が間違っていると断言する。
「音楽家はその作品で評価されねばならない。」という判断基準にそもそも強い疑念があるからだ。

X JAPANがBon Joviを超える日というエントリーで僕はこう書いた。

「曲」は「曲」として、経歴や音楽以外の情報に惑わされないで聞くべきだよ-とかいうような人達もいるが
(なぜかリベラル志向の人に多い)、
僕は、「曲」や「詞」や「パフォーマンス」ひいては「アート」の価値というのは、
それを作った制作者やパフォーマーの経歴及びストーリー・思想・生き方
すべてを含めた総体的なもので決まるのだと常々考えている。

これはたとえばこういうことだ。
風采も上がらない、40歳の平凡な地方公務員として生きてきた人が作り歌った「15の夜」と
尾崎豊が作り歌った「15の夜」と、まったく寸分変わらぬ同じ作品が提示されたとして、
あなたはどちらを聞くか?という話だ。

平凡な地方公務員の「15の夜」を選ぶ人はよっぽどのヘソ曲がりか嘘つきかのどちらかでしょう。
(別に地方公務員を否定しているわけではないよ。
僕の故郷の親友たちの80%が地方公務員だ。)
ほとんどの人達は、尾崎豊の「15の夜」を選び、
その選択基準には、経歴及びアーティストストーリー・思想・生き方・容姿などが総体的に織り込まれているわけだ。
元々音楽やアートの価値判断基準というのは、絶対的なものではなく、
さまざまな情報が複雑に絡み合った総体で、
それに対する基準や判断の積み重ねが、アートや音楽の価値を形作ってきたのだ。

週末から今日まで、時間があるとサンデル教授の共同体主義(コミュニタリアニズム)について勉強していたのだが、
僕のこういう考え方は、実はサンデル教授の主張するコミュニタリアニズムの概念にきわめて近い。
これについては、また日を改めて書きたい。

“デビッド・ボウイ、尾崎豊、大江健三郎の息子たち” への4件のフィードバック

  1. まったくそのとおりだと思います。
    「音楽家はその作品で評価されねばならない。」というのは行き過ぎた考え方ですよね。

    「スポーツ選手はその記録で評価されねばならない。」と言っているのと同じです。
    「長嶋が王、野村より人気があるのはおかしい。」と言っているのと同じです。

    例えば坂本龍一のCDを購入する人の中で、純粋に作品だけが良くて購入している人はどれくらいの比率でしょうか。
    彼ががもしアカデミー賞を受賞していなかったら、購入していなかったという人もたくさんいると思います。
    つまり、「アカデミー賞を受賞した音楽家」というストーリーを含めて聴いているわけです。

    中には「何やら理解できないけど、難しくて崇高な音楽らしい」ということで聴いている人もいるわけで、そういう聴き方もありですよね。

    音楽のジャンルによっては、特にロックなどはもっとその傾向が強いと思います。
    変な例えかもしれませんが、えなり君がボーカルのバンドがブルーハーツとまったく同じ音を出してCDにしても残念ながら売れないでしょう。
    (逆に、これはこれでちょっとカッコいいかも)

    わたしたちは間違いなく作品だけではなく、経歴及びアーティストストーリー・思想・生き方・容姿など、総体的に判断しています。

    PS.地方公務員が歌う15の夜って、、、笑った

  2. aztecさん、投稿ありがとうございます。
    賛同していただいてすごく嬉しいです。

  3. 日本語の意味をご理解されていないことと科学知識の不足からくる誤解です.
    「・・・されねばならない。」の意味がお解りでない.
    議論する余地はなく,作品のみから評価されるのが理想です.
    ただ,人間の脳の性質として作品以外の付帯情報も感情に影響を与えてしまうので,それを避けることは出来ません.

    まあ,大江光の作品は知的障碍者にしては良いのでは.
    寄付金以外の目的で金をとるのは詐欺的ですが.

    まあ,このコメントはあなたのような方はご理解いただけないでしょうし,掲載されないでしょうね.ww

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