涙に濡れた豆満江(눈물젖은 두만강)

動画は、韓国で大衆歌手として初めて文化勲章を受け国民歌手と言われた、キム・チョング(김정구1916年 7月15日〜1998年 9月25日)の素晴らしい歌唱「涙に濡れた豆満江눈물젖은 두만강 (1987)」
朝鮮半島産演歌(韓国では演歌のことをトロットと呼ぶ)の代表曲のひとつだ。81年には、韓国人が好きな歌謡アンケートでナンバーワンとなった。

僕は昔よく韓国系のハコ仕事で、(日本人でありながら)この曲を演奏していた。オールドコリアンはこの曲が大好きだ。
しかし今の20代以下の世代は、本国のコリアン達もそれほどよく知らないのではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=4FSz43cNGX4&feature=player_embedded

この曲がキム・チョングの歌唱でヒットしたのは1939年(昭和14年-リリースは前年の1938年)。ナチス・ドイツ軍とスロバキア軍によるポーランド侵攻により9月に第二次世界大戦が勃発した年だ。
この年、アインシュタインがルーズベルトに原爆開発を促す書簡を送付し、それがきっかけになって、米英加は、科学者・技術者を総動員し原爆を製造し、45年8月ヒロシマ・ナガサキが犠牲となった。
日本ではこの39年の前年に国家総動員法が施行された。

この曲は現在の韓国では、当時日本に併合されていた朝鮮半島の悲しみを表現したものと解釈されているが、そのような直接的表現は歌詞の中にはない。
「豆満江を渡って行った愛しいあなたはいつ帰って来るのか」という切ない恋の歌だ。

よくよく調べてみると、戦前からの国民的楽曲だったわけではなく、1960年代韓国放送ラジオ反共ドラマ「金笠北朝鮮放浪記」の主題歌(主題歌選定には当時の政権の政治的プロパガンダの意図もあったわけだ)となり、リバイバル大ヒットして、以降韓国の国民的愛唱曲になっていったらしい。

この曲が韓国の聴衆に喚起するものは、南北分断後の北への郷愁・望郷の念のように思える。
キム・チョングは、ブッカンサラム(北韓生まれの人を韓国ではこう呼ぶ)でありながら、その後朝鮮戦争(1950年6月 – 1953年7月)の影響で、家族の中でたった一人韓国側に残ってしまったのだった。

韓国現代史を客観的に見ると、いちばん悲惨なのはこの朝鮮戦争済州島四・三事件などの同民族同士による内戦だ。
日本が朝鮮半島を統治していた時代には、このようなことは起きていない。韓国が今見直すべきは、数多くの自国民が 内戦で亡くなってしまった、自国の負の歴史だろう。
当時の韓国政府(李承晩政権) は、自国民の虐殺から目をそむけさせるために「反日」を国是とし、それが今も連綿と続いているのだ。

Location_Tumen-River

豆満江は中国と北朝鮮の国境を流れている川で、その源流は朝鮮民族・女真族(満州民族)の民族的霊山・白頭山(日本民族にとって富士山が民俗的霊山であるように)にたどり着く。
この白頭山(日本では長白山)があり豆満江が流れているのが、中国の朝鮮族自治区「延辺・ヨンビョン」

実は延辺からは、日本にたくさん人が来ている。歌舞伎町や赤坂には、いっぱい延辺・朝鮮族の綺麗な子たちがいるので、機会があったら一度お話してみることをお薦めする。
延辺・朝鮮族は、中国内のマイノリティーだが自治区があるからなのか、北朝鮮にも韓国にも中国にも帰属意識がなく、日中韓朝の中でもっともコスモポリタン的で、今問題となっているような民族意識や愛国心は薄い。
そのかわり信じるものが「お金と家族」みたいなドライな点もある。

それがいいことなのかどうなのか?なかなか難しい問題だ。

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